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2004.11.26

「ハウルの動く城」

朝日新聞の映画評はマイナス評が多い気がする。いやワタクシの見ようとする映画は評価されないってだけの話かもしれないけど。マトレボは実際……って、そういう話じゃなくて。
水曜の朝刊で評を見たので早々に『ハウルの動く城』を見に行ってみたわけだ。評者は嶽本野ばら氏。ラブストーリーとしてすばらしく、ハウルは少女の理想の男性像で(笑。いやこれは人それぞれだよね)、制作者は象徴を廃した、そして、泣ける、と書かれていた。宣伝方針として、詳しい情報を出していないこの映画が、そんな作品になっているのかと興味を持ったのだ。
なんていうのか、微妙な話だった。
映画が終わり、劇場内が明るくなって、客は通路を歩きながら、ぽつりぽつりと喋りだす。その喋りだし加減が、なんとも微妙だったのだ。『もののけ姫』みたいに。
いやいつもの少女が救っちゃう話で、ヒロインと魔法使いはめでたしめでたしな感じで終わるんだけど、そのほかについては、はっきりした結論は出ないままなのだ。帰り道、いろいろと考えたり、話しあったりしている時点で、宮崎駿氏の術中にはまっているのかな、という気はする。
嶽本氏の書くとおり、ラブストーリーとして見るなら、ふたりはできあがり完結していて、微妙のなんのと疑いをはさむべくもないのだ。世界を描く技量は実に安定していて(なにしろジブリですから)、ほかのなにもかもを忘れてしまうというソフィーの台詞が素直に納得できるほどに美しい。そのひたむきさが報われるカタルシスもある。
ただ、この映画のどこで泣けるのかは、とうとう謎のまま終わってしまった。
劇場でも泣いてる人いなかったし。
客寄せのコピーとして「泣ける」は今や強力だから、感動する、心を動かされる話だ、という表現として使うのは有りかなあ。ひどく心を動かされるからこそ、その理由を知りたいとも思うのだし。

十何年か前に原作を読んでしまっていたワタクシとしては、いかにも宮崎駿氏好みの原作を、どんなアニメに、そして別の話に作るのかと、最初から差異を見定めるつもりでいたのだ。
導入部でいくつかの省略があり、これはと思っていると、やはりぼやけているというか、ぼやかしているのか、よく分からないところが出てきた。
たとえば、ソフィーが帽子に話しかけて、その帽子がどうなったか。これがないと、荒れ地の魔女がやってきて呪いを掛ける理由やきっかけがなくなってしまうのだ。カブ頭のカカシで分かるかもしれないが、呪い後の話だしね。
最初にカルシファーを自分で動かそうとするエピソードも動機がはっきりしないだけに、ただやってみて城を壊したように見えてしまう。どうしても必要なら、なぜ?と問いかけてしまうのだ。
そして原作との大きな差異は、戦争がすでに始まっているということだ。火と鉄の暴力が、具体的な姿を現し、ヒロインを脅かす。
そしてハウルは人でなしで心がないのはなぜなのか。映画の帽子屋の女たちが噂するかぎりでは魔法使いで女たらしの伊達男だから、というふうに聞こえるが、はたしてそれが王室の筆頭魔法使いサリマンが人間でなくなっていると言う状態だろうか。やはりあの、王から出頭命令すら来ないうちから、変化して無見の闇を飛び、鉄と火がすべてを破壊する戦場を舞う異形のすがたから、徐々に戻ることが難しくなっている状態を言うのだろうか。
考え始めると、謎は尽きない。ううむパンフ買っておくべきだったか。

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