『魔法使いとリリス』 4150203512 Amazon | bk1 | 楽天
シャロン・シン/中野善夫訳
ハヤカワ文庫FT〈プラチナ・ファンタジイ〉
この本のタイトル、特に名前に、思うところのある人は多いだろう。
ただ、まあ、知らない人は検索などしないまま読みはじめるのをお勧めしておく。知らぬがゆえの新鮮さ、驚きをみすみす無駄にしてはなるまい。
さて、主人公は魔法使いの弟子にして、ごく平凡な青年である。
いや相反する表現なのは分かっている。魔法使いに認められるほどの才の持ち主が凡庸でありえようか。
おのれの能力と才覚にとどまらず、人としてのつきあいかたや、他人に及ぼす魅力にまで自信を持っていて、なにによらず肯定的で、と書き出してみると、大いに非凡かつ理想的人物像であるわけだが。
しかしこれは魔法使いの弟子として、というよりは、尋常の人間の理想像であろう。これもまた、後から効いてくるのだが、それはさておき。
偉大な師匠から唯一伝授してもらえなかった変化(へんげ)のわざを求めて、青年が紹介状を手に新たな師匠のもとを訪れるところから物語は始まる。
村人に忌避される魔法遣いの棲む人里離れた館で、青年は予期せざるもの――その妻、リリスと出会う。
リリスも、ふたりの召使いも、館のものたちはなにもかもが異質だ。魔法使いにまつわるすべてはかくあるべきとも言えるのだが、魔法使いそのものの異質さとも違う。その差異があまりに根深いので、世の常の人々にたち混じり、なじんでいくことができないのだ。
そこに、青年はひきつけられる。
屋敷うち、村で、貴族の館で、徐々に明らかにされる真相は、一歩引いて考えればいかにもと思わせる。ただ、異質なものたちのいたましさ、詩人の魂ゆえに異質と分かっていながら惹かれる切なさに、胸を打たれる。
「でも、オーブリイ。それはわたしがなりたいものじゃないの。(中略)
あなたのことは愛しているけれど、その愛では足りないのよ」
『魔法使いとリリス』274p
そう、リリスはリリスである。いや、ほかのなんびとも、あばら骨の持ち主のために作られたイヴたりえないはずなのだ。
いかなる力を魔法使いが振るおうとも。
いささかならず苦い共感と理解が、幕切れを潔くも清々しくしている。なぜに最初の師匠は自ら教えることなく別に師匠を選んだか、何を会得させたかったのか、その疑問もまた、落ち着きどころを自ずから見いだす気がする。
異世界好きはとりあえず読んどけ的な佳品。村をよぎり館に淀み、森を抜けていく風を直感的に把握できたらどんなものなのか知りたいと願ったことがあるならば、作品世界の語られかた、また訳文の明澄さに助けられて、答えを見いだせることだろう。
魔法と世界のありかたは相当に直感的なので、設定マニアには物足りないかもしれない。
ネタもののロマンスとしては、ヒロインの身の置き所のなさが自分的に大ヒット。
じつに『銀色の恋人』以来かもしれない。
本邦初訳のはずなのだが貴族の館の描写など不思議と馴染みぶかく感じるのは、作家が好きだという十九世紀の小説のせいだろう。ここしばらく読み散らかした歴史物のハーレクインロマンスには、その時代を題材にしたものがたくさんあるし。
本書の主軸のひとつはロマンスなのだが、もちろん結末は上記の台詞から予想されるごとくハーレクイン的ではない。ただロマンスは恋愛物というほかに、物語(の原型)という意味も持つはずで、読み手や聞き手が何を期待するかによって、語り継がれ読み継がれるうちに変形していくものなのだ。本書のエピローグでは、端的に表現されていることだが。
むろんハーレクインの読み手にしても、言い分はある。そんなことは承知の上で、読了の余韻の間だけ、おのれの望む結末のもたらす調和と達成感に浸りたいのだと、それでこそ読書が楽しみになるのだと。
ちなみにハーレクインにもいろいろある。それが人気の根強さの一因だと思うのだが、たとえば懇願されたヒロインが愛ゆえにマイナスの選択をして幸せになる結末も有りなのだ。人間関係に終わりはないから、物語としてはひとまず幸せで終わらなくちゃいけないんだ、と割り切ろうとしても、とてもハッピーエンドとは思えないんだけどね……。
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