« November 2, 2003 - November 8, 2003 | Main | November 23, 2003 - November 29, 2003 »

2003.11.22

トールキン遺稿集の邦訳が。

『終わらざりし物語 上 』が河出から遂に出る。遺稿集 " Unfinished Tales " の翻訳である。
本邦トールキン研究会20年の蓄積が活かされた邦訳を買わずにおくべきか。
発売は12月12日あたりのよし。現在予約受付中なのは Amazon.co.jp だけであった。

| | Comments (0) | TrackBack (0)

2003.11.17

妖精物語あるいは近代の夢想。1/3

たまには展覧会ネタなど。埼玉県立近代美術館で開催された『フェアリー・テイル ―妖精たちの物語―』である。右は図録(猫は内容と関係ありません(汗)。
カバーアートとなっているのはフィッツジェラルドの「鳥の巣の中の妖精たち」である。同行の友人とは
レオノーラ・カリントン(キャリントンとも)の名前など出したりして盛り上がっていたのだが、今見返していても、シュルレアリストの描く人ならざるものを思わせる何かがある。
そう、この妖精たちは、ひとの想念が見せたものなのだ。非在への憧憬、という。
黄昏の葦原にひっそりと人ならざるものが浮かび笛を奏でるマンの「夕暮れの葦笛の長い嘆き」などを見ていると、吹き抜ける風に葦が鳴る暮れ方に、ただ風が吹くのでなく、楽を奏するなにものかがひそやかに息づいていて欲しい、と願ってしまう心性(前提として、いないとの認識は必要不可欠だが)には、相当に共感できるのだが。
うむ、本邦に近しい例で言うならば。里芋の葉が露を零すとき、その陰に遊ぶ小さい人が居て欲しいと思う気持ちがあるからこそ、コロボックルの物語が心に残り語り伝えられてきたのだと思うのである。
コティングリー妖精事件の事例も然り。

| | Comments (0) | TrackBack (0)

妖精物語あるいは近代の夢想。2/3

英国で妖精画が隆盛を見たのは18世紀後半、フェアリー・テイルすなわち妖精物語の復権による。キリスト教の排他的傾向、さらにプロテスタント的厳格も手伝った産業革命の国らしい実利主義もあると思うのだが、伝承の物語の復権は英国では遅かったのだという。
その産業革命のもたらす人間性疎外はアーツ・アンド・クラフツ運動など復古的な人間性復活のムーブメントを生み出すのだが、それはさておき。というか妖精物語の復権とは無縁ではない。伝承の物語の採録や出版が、ナショナリズムの勃興と無関係ではありえないように。
やや早くピークが現れた文学的な妖精物語だけでなく、本にまとめられた伝承をふまえているらしき絵もあるのだが。かくあれかしとの願いを素直に形にした、というよりは、根底にある疎外ゆえの隔絶感があるように思えてならない。心だけ彼岸に行ってしまった妖精画家がリチャード・ドイルひとりにとどまらないのも、疎外されたおのれの想念が、かくあれかしと願う見えざる存在に、ただ想念のみの力で形を与えつづけた結果なのではないのだろうか。
その隔絶ゆえに、空想の存在は迫力を得、時に神気を備えて見えるのだろう。

| | Comments (0) | TrackBack (0)

妖精物語あるいは近代の夢想 3/3

しかし妖精画は美しい想像、稚気の産物と思われがちである。コマーシャルベースの意匠とか図案まで入れれば、その域を出ていないものがほとんどである。そういうものを求めて展覧会に来ている人も多かったようで、妖精の扮装で記念写真を撮れる子供向け企画コーナーもあったりしたのだが。植え付けられた芽が非在への憧憬まで育つ例もなくはなかろう。うん。
それにしても出口の物販コーナーには花の妖精(昔チョコのおまけに入ってたカードの絵柄です)グッズいっぱいだった。
しかしドイル挿画の" A Tale of Fairyland (The Princess Nobody)"を買ってしまったのは秘密である(汗。いやその、ドーバーのペーパーバックだし。でもアマゾンとの比較だとレート違いすぎ……あああ。後悔。

『フェアリー・テイル ―妖精たちの物語―』埼玉県立近代美術館 ~20031103
 2004410~2004530 足利市立美術館にて公開予定

| | Comments (0) | TrackBack (0)

« November 2, 2003 - November 8, 2003 | Main | November 23, 2003 - November 29, 2003 »