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2003.03.26

『霧のむこうのふしぎな町』柏葉幸子;講談社文庫

購入?→ bk1
小学校六年生の夏休み、リナはただひとり旅に出ます。
お父さんが昔世話になった人がいるという霧の谷をめざして。
迎えもいない山の中の駅から、駐在さんが書いてくれた手書きの地図をたよりにたどり着いた森のなかに、霧の谷はありました。
しかしそこには下宿屋と、因業そうな女主人がいて。リナに「はたらかざるもの喰うべからずだよ」「じぶんで稼いだお金じゃないとだめ」と迫ってくるのでした。
ふしぎな霧の町の住人たちの手伝いをして暮らしながら、リナはいつしか、自分が変わっていくのを感じます。
風変わりながら魅力的な霧の町の住人たちに導かれるように、引っ込み思案でけして要領がいいとは言えない少女の、そう、目覚めの物語が語られます。
1975年に講談社児童文学新人賞を受賞したこの作品を覚えている人も多いでしょう。
なぜ今また新装再版かというと『千と千尋の神隠し』の監督が「発想のきっかけをもらった」という一言のせいらしいです。使われかたからよく似たモチーフは見受けられますが、監督自身が「映画化をめざして果たせなかった」と言うように、まったく別の物語です。
死のかげり、異性との差異の目覚めのひらめきが加わり、深化させたとも言えるでしょうが。そんなの大人の思いこみと押しつけかもな、と、この本を読んでいてこっそり思ったのは秘密(笑

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2003.03.25

『キャラクター小説の作り方』大塚英志;講談社現代新書

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キャラクター小説とはネットでは多少馴染みのある呼び名で言えばライトノベルのことなのだが。漫画やアニメやゲームと同じキャラクターの絵がついてるタイアップものの小説、つまりキャラ絵がついてればいいか的なもの「も」あるキャラクター商品ぽい扱いを受けていたこともあると聞いて、少し驚いた。それは売る側の都合でしょ、という本論はこのひとつ前の日記を参照してみてね。
ライトノベルの一時代を切り取った読み物として、ジャンルや媒体に関心のある向きは必読でしょう。またライトノベルでフィクションのおもしろさに目覚めた書き手志望者への指南書としては『久美沙織の新人賞の獲り方おしえます』に続くおすすめと思われる。

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『キャラクター小説の作り方』大塚英志;講談社現代新書

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キャラクター小説、もしかするとライトノベルという名前もネットではなじみが出てきたかもしれないが、たしかに想定購買層は小説じゃない他媒体と重なるものはある。しかしそれは売る側の都合なんじゃないかと思うのだ。
じゃあ、読者にとってライトノベルとはなんなのか。
本書で大塚英志は、漫画やアニメ、ゲームで認知されている記号を使った装置、自然主義文学の伝統を受け継ぐ主流文学とは異なる新しい小説だと定義する。そして手塚漫画、テーブルトークRPG、さらには原作者そして作家として関わってきた実作業の過程から、ライトノベル世代の言語で、小説を書く準備作業が、技法として語られる。
著者も書いているが、たとえばエピソードをカードに書き出し、ストーリーの運びを分析する方法そのものは新しいものではない。そこに行くまでの、テーブルトークRPGを「遊ぶ」方法論で作品を組み立てていく役割はデザイナー、ゲームマスター、プレイヤーと三種類あって、別々だけれど連携していないと面白くならない、という持っていきかたは、漫画家→編集者→原作者・小説家と経てきた著者には自家薬籠中というべきか、読み物としても面白い。そこまで親切にしていいの、と心配になるくらいに。
実際にはライトノベルに限らず、読まないけど書きたい人は増えている。おもしろさの立脚点に差がある読者としては、この本の書かれ方に全面的に賛同はしない。しかし少しは変わってほしい、とは思っているのであった。
むろん、テクストそのものが怠惰ではあるが装置だとか、記号と言い始めたら言語そのものだって、というツッコミはいくらもできるが、著者は先刻承知であろう。
最後まで読めば、主流文学の根幹をなす自然主義の「自然」、私小説の「私」もパラダイムの一種だと、言及があるのだ。
特筆すべきはむしろ、記号的な要素に立脚するフィクションの可能性を信じたいと、1章を割いてはっきり書かれていることだろうか。自分自身に何が残せるかという問いかけを含んでいると思われてならない。

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『アースシーの風』(日曜読了)

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『帰還 ゲド戦記最後の書』が出た頃の話なので、もうよく覚えていないんだけれど。
三部作の世界を壊してしまったのが惜しい、というような話を聞きました。
わたしはそのとき、年を取って連れ合いをなくしたゴハ、かつてテナーであった女の話を、三部作の世界を壊してまで書きたかったんだろうな、と思ったのは覚えています。だから最後なのかなと思ったことも。物語の結末が、わたしには望んでも叶わない夢のように思えたのです。
どんどん昔話をしそうなので端折ってしまいますが。
結論からいうと、それはただ壊されたのではなかったのです。もういちど、世界は作られていました。意味する「もの」は違いますが、「つくられたものはこわされ、こわされたものは全きものとなりましたな」と様式の長がいうように。
間の短編集を読まないと全体像はたぶん見えないと思うのですが。わたしはこういう話が好きです。

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