妖精物語あるいは近代の夢想。1/3
たまには展覧会ネタなど。埼玉県立近代美術館で開催された『フェアリー・テイル ―妖精たちの物語―』である。右は図録(猫は内容と関係ありません(汗)。
カバーアートとなっているのはフィッツジェラルドの「鳥の巣の中の妖精たち」である。同行の友人とは
レオノーラ・カリントン(キャリントンとも)の名前など出したりして盛り上がっていたのだが、今見返していても、シュルレアリストの描く人ならざるものを思わせる何かがある。
そう、この妖精たちは、ひとの想念が見せたものなのだ。非在への憧憬、という。
黄昏の葦原にひっそりと人ならざるものが浮かび笛を奏でるマンの「夕暮れの葦笛の長い嘆き」などを見ていると、吹き抜ける風に葦が鳴る暮れ方に、ただ風が吹くのでなく、楽を奏するなにものかがひそやかに息づいていて欲しい、と願ってしまう心性(前提として、いないとの認識は必要不可欠だが)には、相当に共感できるのだが。
うむ、本邦に近しい例で言うならば。里芋の葉が露を零すとき、その陰に遊ぶ小さい人が居て欲しいと思う気持ちがあるからこそ、コロボックルの物語が心に残り語り伝えられてきたのだと思うのである。
コティングリー妖精事件の事例も然り。
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